僕にもそれはわからない。

http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20070121/1169414343

そもそも「勉強」の意味が僕にはわからない。義務教育で言われる勉強は、少ない分類においての技能を計る為の競争であって、本来の意味からは離れている。もちろんその競争に勝つ事で上手く行く事の可能性は高まるかもしれないが、自分の価値を最大化するのはその競争に打ち勝って得られるものではない。その競争に勝っても得られないと思われる価値はなにか、それを得るにはどうするべきかを考えることが勉強だと思う。その過程に面倒くさい事やつまらない事や恐ろしい事がやってくる。それにも備える為にも勉強を日々している。健康と共に欠かせない要素について「どうして勉強しなきゃいけないの?」と問われれば、僕にもそれはわからない。どうしてなのか?考えても答えが出ない問題だから。アドバイスが出来るとすれば、偏食はよくない。けれどもそれに気が付いていて気が付かないフリをする事だ。それでモノの長短を知ることが出来れば、勉強をしているんじゃないかと思う。

富が平等に行き渡る時代が来ると幸せに生きられるのか?

http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20061229/1167383226

世界中の労働者が団結し人間が生命を全うできる事が保証されたとして、それで幸せな世界が訪れるのか?残念ながらそんな世界にはならない。人は隣の人間と異なる事に嫉妬するのと同様、隣の人間と同じである事には不満を感じる。例えば、社会保障が受けられない裏社会の人間と蓄財を取り上げられた旧富裕層が団結し、窃盗、強盗を繰り返す事で自らの富の回復に努めるかもしれない。また、歴史的事実を振り返った時、今の時点よりも裕福な時代として現代が歴史上に存在する事を人は認めることが出来ない。おそらく、世界で統一された最低賃金の生活がインフラは荒廃し、肉や魚は週に1度も食べられないとしたら、西暦2000年の歴史的事実をしっている国家は戦争を開始し、自らの生活水準を優先する事に異議を立てないだろう。それが歴史においても現在においても、最も採用される回数の多い戦争の為の理由である事は間違いないだろう。そうなる可能性のほうが高い気がする。根本的に地球上の人間の生命を保障できるほどのリソースが地球に残されているのか?という問題もある。ただ、この話の前提がおとぎ話であるから、当然そんな心配をする前に先の30年の在り方について考える。

いますぐ生活コストを下げること。貯金をすること。
貯金が貨幣価値の変動で消滅しないように、
ポートフォリオを組んで各国の株や不動産や貨幣に分散させ、防衛的に資産運用すること。

現実的な方法として、上記の意見に賛成する。しかし、生活コストを下げる事はなかなか難しい。WEについて述べた内容は、自分の意思で残業なんて切りあげて帰るべきで、それが能動的に出来ないのにWE導入で残業代が出ないなんて嫌というのは、自ら「ぬるま湯」大好きだけど「パパの名前を覚えてもらえない」人物像だと触れた。その手の人種にとって、生活コストを下げる事、仕事に関与している時間が短くなる事、自分自身のために使う時間が増える事は、不幸な出来事だろう。何も考えずに机にへばり付いてれば、子供も育つし、キャバ嬢にも会いにいけるのに残業代は減って、自宅にいる時間が増えるのは、苦痛のはずだ。生活コストを下げるというのは金銭面ではキャバに行くのを止めることだが、それ生じた空白の時間を割り振る先の方が実は問題である。家族の為に働いていると公言していた時間が短縮されるからである。もちろん他にカネを極力使わずに時間を有効利用できる事があればよいだろう。私は、その時間をどんな風に使うのが自分にとって有意義かは普段の考え事の一つでもあるし、幾つかの使い方を実践しているから、「私は、こんな時間の使い方を考えている」と書くのは簡単。けれども、それをキャバ遊びをしている人々に話したところで楽しさや喜びは理解されないだろうし、*1これこそ、誰それが何それが面白いらしいという話で楽しめるというような消費的で受動的な姿勢で得られるものではない。だから、残業を切り上げて帰れるようにならなければ、生活コストを下げる事もそれによって生じた時間を活用する事も上手くいかないと思われる。これは、資本主義で言われる幸せと人間個人の幸せの乖離を埋めることに繋がると思う。

*1:される必要ないから書かないのですが

匿名文章を書くと言うことは

思うが儘に書く為の匿名がなぜいけないのか?そもそもインターネットとは匿名ではない。調べようと思えば調べが付く世界であるのに、能動的に名を明かさない事が非難される筋合いは無い。能動的に名を明かさない事で選ばれた根拠の無い言葉の羅列に何の価値も見出せないのは、他人の考えを読み取る想像力に欠けている事と同義。私に問題の本質ではない部分に問題がある事に気が付いてこのページを閉じようとした時、それに気がついたのは、それを知っているからである。それは、匿名の経験では無く、それぞれが実名で感じた経験のはずである。匿名文章を書くと言うことは日々続けることでその場に慣れる事だと思う。

田舎にヲタが集まる場所。それがシリコンバレーという話。

ヒューマン2.0―web新時代の働き方(かもしれない) (朝日新書)

ヒューマン2.0―web新時代の働き方(かもしれない) (朝日新書)

しかし、高学歴が望ましい場所。それがシリコンバレーと言う話。本当かどうかはわからない。著者の仕事を考えれば、本書を通して「シリコンバレーで働きたい」人間を獲得する事を考えているに違いない。しかし残念な事に高学歴のヲタは非常に少ないし、少ない高学歴のヲタには本書の内容はあまり魅力的ではないというか、仕事もプライベートも完璧に勝ち組になりたいと妄想している学生か「ハケンの品格」視聴者向けだろう。妄想はしても「君にはシリコンバレーは無理」と著者が言いそうな人間が本書を読んで「シリコンバレーに行きたい」と言いそうな、そーゆー意味では、面白い内容かもしれない。出版によって無益な仕事が増えてブログの更新頻度が落ちたりしなければ良いが・・と思う。

ホワイトカラー・エグゼンプションと少子化対策?

http://www.asahi.com/politics/update/0105/007.html
http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20070109/1168304376

旧総理もアホだったが後任はさらにアホだったという事を朝日が言いたいだけかも知れないが、少子化対策としてホワイトカラー・エグゼンプションっていう発想は、ただ都合の良い話を結びつけただけにすぎない。だいたい、自分の家族と過す時間が会社の残業で奪われていると思うなら、残業をせずに帰ればよい話であって、そんな事も「だれかが決めてくれるまで」行動に移せないサマは、総理もバカだが国民もバカだという事になる。仕事を休むと迷惑をかける?違います。仕事を休んでも迷惑にならないように調整するのが会社です。それも仕事です。規定の労働時間働けば、それで帰ってよいのです。そんなことで周りの評価が変わる事自体が理解に苦しみます。カネやジカンなど量的に測ることが出来るモノサシに頼るのも「主観」について理解を求められない国民に由来するとも感じます。

ホワイトカラー・エグゼンプションに反対しているわけでは無く、「仕事が過密なのにその上残業なしで、家に帰っても子供が知らんふりする」のは、残業が多くて家に帰る事が出来ない社会の仕組みではなく、貴方の決断力の無さ、イエスともノーとも言わない無責任から発生した当然の結果であって、総理も総理なら貴方も貴方だという事です。

mixiの足跡機能が嫌なら

SNSの「足あと」機能に疑問を持つ人々


今ネット上で、mixiをはじめとしたソーシャルネットワーキングサービス(SNS)を利用し、困ったことについて議論がされている.......... ≪続きを読む≫


退会すればよい。それだけ。

私の個人的な意見としては、mixiで見知らぬ人から足跡がつく事、見知らぬ人に足跡がつく事の両方を含めてシステムであって、私に興味があればメッセージをくれれば良いし、私が興味を持ったらメッセージを送る。もちろん、私が興味を持てないメッセージの送信者は、私にとってはスパムと同じなので、返事は返さない。だから、戻ってこないときには、「やべー、スパムったな。ははははー」という話になる。高校時代の同級生などの場合には、足跡が付いている事で、「生きている」事を確認できる。もちろん、赤の他人がID/PASSを手に入れて私の友人になりすましている可能性はある。もし、そうならば、本人に電話して「貴方のID使ってる誰かがいるよ」と伝えればよい話。

SNSだろうが高校の同じクラスだろうが会社の同僚だろうが友達を選ぶ作業と言うのは最も慎重に事を運ぶべき事柄であって、SNSだから簡単にお友達が増えるなんていうのは、軽薄だ。軽薄だと思うが、軽薄な人間同士はその方がチャネルが増えてよいのかもしれない。そんなヤツと友達になる気にはならないので、そんなメッセージをスパム扱いする事に気を使うくらいなら、自分の両親にもっと気を使う方が、生産的だ。

ブログや日記には個人名や住所などの情報が語られる事はほとんど無いが、*1その人の人間性が公開される。本名はわからないけれど、そのブログにある言葉から「これだ」と思った時、作者自身に興味がある事を伝える手段は、今までも沢山あった。それがSNSの登場でより簡便になっただけで、だれを友人に選ぶのか?だれと一緒に食事をしたら美味しいか?誰にあってみたいのか?という選択の重さは、何も変わっていない事を忘れた人間が「足跡機能」にこだわる。違う言い方をすれば、足跡機能に拘る人間は、SNS上の人格もすべて作り物で実生活を送っている人格も作り物。自分は誰か?と言うことを主張することを「めんどうくさい」と感じてるのではないだろうか?何も言わないけど「私の事をわかって欲しい」では、何もわからない。

*1:他人の住所を公開するのは、個人情報保護うんたらの前に、同じ事を自分がされたらどうなのか?という考え方が欠如している。

なぜ科学を信用するのか

http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50723326.html

もし科学的にしか物事を「信じる」ことが出来ないのであれば、ある理論の説明を信じる資格があるのは、それを実験で自ら確かめた人だけ、ということになります。「信じる」にあたってはそれが理想ですが、物事の判断に必要な理論をすべて自ら検証するほど我々の人生は長くありません。

その代わり我々がとった手段というのは、自ら検証する代わりに、それを検証した人々を「信じる」というやり方でした。アインシュタインの理論が広く「信じられている」のは、それを信じている人々が自ら実験したためではなく、まず実験した科学者たちを他の科学者たちがそれを「信じ」、それを見た人々が「彼らがアインシュタインを信じるなら私も信じる」という信用連鎖が起こった結果です。

上記の引用で科学者が他の科学者のある理論について信用するのは、その科学者のバックグラウンドやその科学者の理論を信用した著名な科学者などにより信用を得ている。しかし、本当ならばそれ自体が正しいかどうかについては、実際にそれと同じ実験を行い、理論と同様の現象が得られた科学者のみとされている。しかし、これは、専門的な学者間での話であると考える。では、科学者でない一般の人たちはどうやって科学を信じてるか?

今、私は目の前のキーボードを打って文字列を作成している。このキーボードには、アルファベット1つに1つのボタンが割り振られており、"k"を押すと"k"と表現される。ごく基本的な話だが、私はこれが「科学が信頼に値する」と認知できる経験だと考えている。数学的に示された理論は、私を含めた一般の人には無縁な数列でそれについて様々な試験結果の説明を受けたとしてもそれを理解する事は難しい。しかし、キーボードの"k"を押すと"k"の文字が表示されるという経験は、だれでも理解のできる事象である。これらの経験は、毎日毎日拒否する事が出来ない頻度で発生している。住居としている構造物も今日はいてきた黒パンツも目も前の液晶モニターもすべてこれらの経験を提供している。

この日々の経験が科学に対する信頼を構築しているが、そのデメリットがエセ科学である。水の伝言でいう「ありがとう」の水「ばかやろう」の水の差異を「科学的」と感じるのは、今までに一般の人々が「ありがとう」「ばかやろう」という言葉を使った際の反応からの経験と捏造された実験結果がキーボードの"k"を叩いた経験と近似だからである。

科学者同士において理論の信頼性が信用の連鎖で成り立っている*1のは、多数決で理論の信頼性を得る手法では科学的真実に近づかないという科学者なりの考えが作用しているように感じる。しかし、一般に利用可能な状態では、その科学的各論については知る事はできず、学ぶ時間も無く、学ぶ能力が全員に備わっているわけではない。けれども、体験として科学の安定性、信頼性が町中にあふれている事により、「科学的な話は真実だ」と思い込んでしまう。なによりも「目で見てわかる」のは、言語理解よりも端的に理解しやすい。この点がエセ科学が流行する問題の原因だと考える。騙された要因はこの辺にある。

最後に、これらの事に注意深くなる必要が今の社会構造では必須となった。注意を向けるべき対象はエセ科学だけでなく、テレビや新聞、悪質な宗教からブログに至るまで懐疑的な視点でいる事を半ば強要されているとも言える。*2これは、また別の話になるが、この状況が生んだ歪みによって、隣近所の人間との希薄な関係、知らない人への懐疑的な眼差しとなり、最終的な状態として精神疾患を伴うトコロまで問題が及んでいる。だからこそ、信用できる事や人とは何か?誰かの言っている事が信頼出来るのか?そして、誰の言っている事が好きなのか?と言うことを織り交ぜて考え、目で見える事実だけではなく積みかねた経験や信頼のおける他者の助言を活用し、ある一つの信頼が崩壊した時に困惑しない多様性を獲得する事が、エセ科学精神疾患を減少させる視点ではないかと思う。

*1:実際は、正しくない理論の上で他の科学者が研究を行えば、バグが発覚し、理論の修正を迫られるはずだが、それが科学の世界で行われていないとすれば、後々には大変な事が起こると思うが、その話はそんな話が煮詰まった時に。

*2:このブログは懐疑的な見方を推奨しています。