富が平等に行き渡る時代が来ると幸せに生きられるのか?

http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20061229/1167383226

世界中の労働者が団結し人間が生命を全うできる事が保証されたとして、それで幸せな世界が訪れるのか?残念ながらそんな世界にはならない。人は隣の人間と異なる事に嫉妬するのと同様、隣の人間と同じである事には不満を感じる。例えば、社会保障が受けられない裏社会の人間と蓄財を取り上げられた旧富裕層が団結し、窃盗、強盗を繰り返す事で自らの富の回復に努めるかもしれない。また、歴史的事実を振り返った時、今の時点よりも裕福な時代として現代が歴史上に存在する事を人は認めることが出来ない。おそらく、世界で統一された最低賃金の生活がインフラは荒廃し、肉や魚は週に1度も食べられないとしたら、西暦2000年の歴史的事実をしっている国家は戦争を開始し、自らの生活水準を優先する事に異議を立てないだろう。それが歴史においても現在においても、最も採用される回数の多い戦争の為の理由である事は間違いないだろう。そうなる可能性のほうが高い気がする。根本的に地球上の人間の生命を保障できるほどのリソースが地球に残されているのか?という問題もある。ただ、この話の前提がおとぎ話であるから、当然そんな心配をする前に先の30年の在り方について考える。

いますぐ生活コストを下げること。貯金をすること。
貯金が貨幣価値の変動で消滅しないように、
ポートフォリオを組んで各国の株や不動産や貨幣に分散させ、防衛的に資産運用すること。

現実的な方法として、上記の意見に賛成する。しかし、生活コストを下げる事はなかなか難しい。WEについて述べた内容は、自分の意思で残業なんて切りあげて帰るべきで、それが能動的に出来ないのにWE導入で残業代が出ないなんて嫌というのは、自ら「ぬるま湯」大好きだけど「パパの名前を覚えてもらえない」人物像だと触れた。その手の人種にとって、生活コストを下げる事、仕事に関与している時間が短くなる事、自分自身のために使う時間が増える事は、不幸な出来事だろう。何も考えずに机にへばり付いてれば、子供も育つし、キャバ嬢にも会いにいけるのに残業代は減って、自宅にいる時間が増えるのは、苦痛のはずだ。生活コストを下げるというのは金銭面ではキャバに行くのを止めることだが、それ生じた空白の時間を割り振る先の方が実は問題である。家族の為に働いていると公言していた時間が短縮されるからである。もちろん他にカネを極力使わずに時間を有効利用できる事があればよいだろう。私は、その時間をどんな風に使うのが自分にとって有意義かは普段の考え事の一つでもあるし、幾つかの使い方を実践しているから、「私は、こんな時間の使い方を考えている」と書くのは簡単。けれども、それをキャバ遊びをしている人々に話したところで楽しさや喜びは理解されないだろうし、*1これこそ、誰それが何それが面白いらしいという話で楽しめるというような消費的で受動的な姿勢で得られるものではない。だから、残業を切り上げて帰れるようにならなければ、生活コストを下げる事もそれによって生じた時間を活用する事も上手くいかないと思われる。これは、資本主義で言われる幸せと人間個人の幸せの乖離を埋めることに繋がると思う。

*1:される必要ないから書かないのですが