ウェブ人間論

http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2006/12/post_a97b.html
比較的肯定的意見のように読み取れる。しかし、文章が長く感じられる。

http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/44d1371944653362ef9a7b864d01faeb
とりあえず、「間違っている。」「おかしい話だ」で始まる池田先生。本書の内容にあまり触れていないが、批判的。


二つを読み合わせてどちらに軍配があがるかというと村社会日本では-自民党的な方-すなわち前者が当選する。池田先生のやり口には、やり過ぎというか、パッと得られた情報で思いのたけを語るというか、学者感覚を損なっている時がありますが、物事を前向きに考え、「きっとこうなります!」という話より、コレとコレはバカな話だと書く方が、書きたくてもなかなか出来ない。非難されて怒られるのが嫌だなんていう精神構造が蔓延していて。これを広い意味において厨房と呼ぶ事で安堵している。

私は、梅田氏の前の本を読みましたが、40p読了で返却。わかりやすい表現には必ず罠があり、わかりやすさにマインドコントロールされている。わかりやすさを求めるならば毎日の生活を見直すことが先で、自分の置かれている状況を肯定的に捉える為の情報は気休めでしかないし、サバイバルな感性に欠けてしまう。
明日、テポドンが飛んでくる可能性についての配慮が無い。これは某国間での問題ではなく、家族を含めた数少ない親しい人間達との生活を破壊する問題。はてブを見ていてもレバノン情勢などに言及しているエントリーは見受けられない。あるのは、ウェブ、テクノロジ、ビジネス、Wii・・・
感情的にこんがらがっていて解決の糸口が見当たらない問題は、見てみぬふりをするのが、日本の慣わしでしょうか。もしくは人間の本能でしょうか。


http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20061212
話は戻って、池田先生の言及にビジネスマン梅田氏から何かあるのか楽しみです。池田先生も人気者の梅田氏に矛先を向けてポジティブバカに荒らされても困るので、防衛感覚が働いているように感じます。そこに人間性を想像し、日々戦々恐々の中であると感じたりするのでした。

成功に飽きる。欲望に飽きる。

http://d.hatena.ne.jp/Masao_hate/20061212/1165860267

同じようなことを思った事がある。レコードを1枚リリースした後のことだった。この出来事を「成功」とは感じなかったけれども、10年くらい続けてきた事に対して1つの結果と目標に達した。その後、機材を触るモチベーションは下がった。1年間は何の為にやっているのか、もう一枚リリースする事を目標にも出来ず、それより高い「超有名」になる目標を立てる気にもなれなかった。簡単に言えば、「機材、売ってもいいかなぁー」と思った。それが意味するのは、もう辞めちゃおうかと。けれどもこの小さな目標を達成した事でこれが音楽を続けている理由では無い事に気がつく。


こんな言い方をするのは恥だけど、私が機材を触るのは音楽が好きだからであって、レコードを出すのが目的ではない。成果物に対するフラットな評価は気になるけれど、人に気に入ってもらう事が主目的ではない。主目的は、各論的にはツマミをグリグリやることであり、それで縮んだり膨らんだりするdelaytimeに酔いしれる事であり、その結果としての直近の成果物が以前の成果物と同じかそれ以上に自己評価できること。うわ言を言えば、音楽に取り組む中で発生する心のバイオリズム調整である。なので私にとって機材に触る時間が至福のとき


趣味なのか仕事なのかという疑問は不毛だと思う。端的には生活できる金銭を得られれば仕事である。趣味とは個人的な喜びが得られる行為。これを両立させるのが無理ならば、当面は趣味かもしれない。もちろんそのままで良いとも思う。けれど、それはきっとネットワークが変えてくれるというか、ネットワークによってチャンスは永久に発生していて、参加のハードルも著しく低くなった。情報の玉石混合の問題を解決するシステムが進化するのと同じように成果物の玉石混合もやがて解消され、ロングテールに日が当たるようになり、本業としてと言うよりは副業としての趣味になる。


また、成果物の品質的クオリティは、続ける事で学ぶ職人的作業もあり、このスタンスで私は機材を触るのが楽しいし、未来が楽しみで、これをシナジー効果と呼ぶのかな。